『ソロモンの指輪 動物行動学入門』
動物行動学といえば、この本の著者ローレンツ博士を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。動物に興味のある方ならば、カモなどのヒナが孵化して最初に見たものを親と思ってしまう「刷り込み」について聞いたことがあると思います。この理論を打ち立てたのが、ローレンツ博士であり、彼が初めて書いた本がこの『ソロモンの指輪』になります。初出版は1963年、私が生まれたころに発行されたものですが、そんなに古い本なのに、この本以上に興味深い動物行動学の本に、なかなか巡り合えずにいます。ローレンツ博士といえば、水鳥のこの「刷り込み」が有名ですが、この本を読むと、水鳥以外にも、カラス、犬(オオカミやジャッカルなども含む)などにも大変深い研究と洞察を重ね、魚にも及ぶ、ありとあらゆる動物に興味を持っていたことがわかります。
ソロモンというのは、旧約聖書に登場する王の名で、ソロモンの指輪にはあらゆる動植物の声を聞く力が備わっていたとのこと。著者は、ソロモンの指輪がなくても、知り尽くした動物となら話ができるという思いで、この題名にしたそうです。
どんな本か
動物大好きな著者が、実際に動物と共に生活する中で得られた研究成果や、様々なエピソードが語られています。この本には、著者が飼っていた実に様々な動物が登場します。犬、ネズミ、サルなどをはじめ、鳥だけでも、ハイイロガンやコクマルガラスのほかに、ハト、猛禽類、オウムや種々の野鳥など、数えきれません。これらすべてと実際に接していた著者には、憧れとともに驚きですが、すばらしさだけでなく、著者自身も色々な動物と暮らした苦労や被害も包み隠さず暴露してくれていています。
動物行動学ときくと、少し硬いイメージがあるかもしれませんが、これは決して研究論文ではなく、一般の人向けの楽しい読み物です。言い回しなどが多少学問的に感じるかもしれませんが、内容が面白いのでどんどん引き込まれていきます。始めからきっちりと読んでいかなくても、自分の興味のある動物の章から読み始めても良いと思います。
お勧めのところ
コクマルカラス
私は、前にこのブログでも紹介した『カラスの教科書』で、カラスについて様々な知識を得たため、まず一番でこの第5章「永遠に変わらぬ友」を読み始めました。この章では、日本に多数いるハシブトガラスやハシボソガラスではなく、コクマルガラスが登場します。著者の住む、オーストリア方面では一般的なようです。『カラスの教科書』からは身近なカラスについての様々な知識を得ましたが、こちらの本は、さらに突っ込んだ興味深い内容になっています。それは前作と違い、著者自身がヒナからカラスを育てているためと言えるでしょう。それも、1羽飼育での人間との密接した関係であったり、多数飼育でのカラス同士の関係性であったりと、様々です。いずれにしても、カラスの、他者に対する感情的な部分にまで踏み込んでの観察と考察が、とても面白いです。特に、雄と雌が、恋をし、どうやって相手にアプローチし、番になっていくのかのプロセスは、まるで人間の若者の世界を見ているようなかわいらしさで、魅力的です。こういう繊細な部分は、まさに、生活をともにしている著者でなければ知り得なかったところでしょう。
イヌの2タイプ
犬種により、犬には様々な性格があるというのは良く知られていることで、イヌを飼育する上での参考になり面白い部分でもありますが、著者はそれを大きく2つに分けているようです。つまり、ジャッカルの血を多く引いている「ジャッカル系」と、オオカミの血が濃い「オオカミ系」です。たまたま群れをなし共同生活しているジャッカルに比べて、排他的で非常に強い結びつきの群れをなすオオカミとの違いが、それぞれの血を濃く引き継ぐイヌの性格に反映されているということです。だれにでも懐くことができ、人間に対する従順性をもつジャッカル系と、一人のボスに忠誠を誓うが従順性とは程遠いオオカミ系、そのどちらにも長所と短所があると著者は言っています。著者はその例として、自身が飼っていたジャーマンシェパード(ジャッカル系)と、夫人が飼っていたチャウチャウ犬(オオカミ系)をあげていて、その比較もとても面白いです。また著者は、この2種の良いところをあわせ持った理想的な犬種の育種をやってみたいと言っていましたが、その後どうなったのか非常に興味があるところです。
同族同士の戦い
肉食獣と草食獣、そのどちらが同族の仲間に対して、ひとたび争いを起こしたときに社交的なモラルのある態度で対処できるか、わかりますか。たとえば、オオカミやイヌなどは、同族との争いのとき、降伏者が一番自分の弱い部分、たとえば首筋などを強者に差し出すことによって、その場が収まってしまうそうです。鋭い牙や嘴のようなものを持つ動物は、それを制御する力が遺伝的に備わっていて、種の保存を保っていると著者は言っています。
一方、平和的とも思える草食獣は、逆にこのような抑制を持っておらず、逃げ場のない狭い所で争いが起こると、相手が倒れるまで闘い続けるそうです。一見穏やかな生き物に思える、ハトやウサギ、シカなどを例に挙げています。私も、負けたイヌがお腹を見せることによって、勝った方がそれ以上追わなくなるという話は聞いたことがあるのですが、草食獣にそのような抑制がないことに、驚きました。ここの話は、とても新鮮で、お勧めのところです。
お勧めのペット
8章「なにを飼ったらいいか!」という章は、こんなにいろいろな動物を飼った経験のある著者のお勧めのペットということで、大変楽しみにしていた部分です。鳥でいえば、ウソ・ホシムクドリ・マヒワが、手がかからずお勧めということでしたが、これらは野鳥で、現在はおそらく飼育できないでしょうが、なにしろ50年以上前に書かれた本ですので、現在のペット事情とは違って当たり前ですよね。著者はまた、ゴールデンハムスターをお勧めしていて、確かに現代でも人気のペットですが、私が思うにハムスターは短命という悲しさがあり、現代でいえば、もう少し寿命の長いテグーとか、チンチラなどが、あてはまるのかなーなどと考えたりしています。この50年で、色々な新しいペットが改良されましたが、もし著者が現在も生きていたら、どの動物をお勧めのペットと呼ぶか、非常に興味がありますね。
書籍情報
『ソロモンの指輪』
著者 コンラート・ローレンツ
訳者 日高 敏隆
発行 1963年12月 早川書房
1998年3月 ハヤカワ文庫NF (文庫本)
2006年6月 早川書房 (新装版)